新川和江さんの「わたしを束ねないで」という詩を紹介したい。
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
小学生の「国語」の教科書に載っていたこの詩は、なんとなく自分が女に生まれて損をしていると気づき出したころでもあって、忘れられない。母は、産みの苦しみを味わって授かった最初の子が女の子で、残念だったそうだ。「この子も女で損をする」そう思った
という。
だから、小学生の頃の私は「男の子」に負けないように頑張った。女でも男並みになれる、全身で母にそう言いたかった。6年生のとき、同級生の男の子と殴り合いのけんかをした。原因は覚えていない。でも、相手の子から顔面に受けたパンチは本当に痛くて、泣き出してしまった。その時、力では男の子に敵わないことを知ったのだ。
中学校からは、体力では負けるので、勉強で頑張ろうと決めた。勉強して当時としては珍しく四年制大学にまで進学することができた。
1980年代は、女の子は高校までで就職する人が多く、短大へ進学するのが普通だという空気が漂っていたと思う。「四年制(大学)なんかへいったら、結婚できへんし」という露骨な嫌味も何人からかいわれた。
「第一志望の東京の大学に推薦してあげる」と高校の担任の先生から言ってもらった時は、まさに天にも昇る気持ちだった。さぞ、両親が喜んでくれると思った。けれども、親からは「女の子は自宅から通える範囲で大学へいけ」という予想だにしないことばが返ってきた。
内心ふてくされて、大学に進学したのだ。心の中で、「男女平等の世の中にするんだ」と決めていた。そして、今。21世紀をむかえてもなお女性を取り巻く環境は変わらない。
女性に生まれたことを受け入れるのには長い時間がかかった私。悔しい時、新川和江さんのこの詩を思い出す。不当解雇に追いやられてユニオンを尋ねた。
委員長と組合員の方々に支えられ、闘い、勝利的和解を手にした。ユニオンを脱退するという考えは、一度も浮かばない。同じような不当な目にあい、理不尽なことに対峙する人達の何とかそばにいたい、と願っている。