今月になって安倍首相がコロナウイルス大流行のため一斉休校の指示を出しました。
感染予防に関しては疑問符は付くと思います。子どもから子どもからへの感染を避けるぐらいしかないと思います。感染予防としてはほとんど意味がないのでしょう。また、学校長などの管理職や教育委員会や文科省などの上層部の保身のためかもしれません。
その間、子供の教育や授業はどうするのですか。遊ばせておくのですか。親御さんはどうなるのですか。
いや、違う。そこは、発想の転換です。今となっては、実は一斉休校は大正解だと思います。(学校教育法でいうところの)学校の存在意義を考えるいい機会だと思います。学校教育そのものが変わるいいきっかけだと思います。要はお国による価値観の押し付けによって生きづらさを生むのがいけないからです。
以下に5点述べる事実がある限りは、学校はないほうがましだということです。いじめ、体罰、前近代的な校則(精神論や封建的な空気)、格差(偏差値)、受験競争(入試制度)です。
入試がある限り、塾や予備校などの専門的なところで勉強する必要があり、学校の教師の授業は信用されません。その結果、余分なお金と時間がかかります。教師は厳しい受験競争の前ではみな無能な教師です。誰も先生の話を聞かないのです。また、内申書がある限り、生徒教師間及び教師保護者間の関係が悪化するだけです。
そのままでは、お国が定めた基準通り?にできない者は、自殺するしかないのです。障害者です。生きる価値のない人間です。お国に逆らったと同然です。教師イコール権力者の言うことを聞けるかどうかでこの先の人生が決まるのです。
では、学校はどうあるべきなのでしょうか。同じ目標・同じ目的を持った者が同じ場で頑張るところなのです。そこは大学、専門学校、職業科の高校、予備校、塾、教習所など種類は問いません。自分の能力を伸ばしてくれる所ならどこでもいいのです。義務教育がいらないのかといえばそうではありません。必要がないのは戦前とほとんど変わらぬやり方です。
義務教育こそ変わるべきです。学習の場は校舎でなくてもいいのです。スマホの動画でもいいのです。ルールやマナーを守ればYouTubeやLINEでもいいのです。学校教育はこの世に必要ありませんと発言する人がいてもいいのです。文科省や教育委員会不要論が出てもいいのです。何度も同じことを申しますが、学校そのものは変わるべきです。目標に向かって変えるべく頑張って下さい。