パワハラ(あるいは過労死も)という用語がない、夏でも運動部は練習中に水を飲むな、そして「(仕事で)24時間、戦えますか?」が流行語になった時代がありました。上司の指導とは、厳しければ厳しいほど優秀だと評価されました。
その当時、私は24時間×8年間のパワハラを体験しました。しかし、争えませんでした。皆様に注意喚起し、まともなユニオンに加入し自らを守る事を固めて頂きたい為、投稿します。
◇争わなかった理由:
1)行政また司法の手を借りると、解雇され再就職も妨害されると思い込み(たぶん、刷り込まれた)。
2)団結権、そして社内労組を自分達で作れる事も知らない。ユニオンは存在すら、知らない。
3)記録を(少なくとも日付を書いて)残していない。当然、録音もない。
4)自主退職した。しかも退職“願”を出し、退職日を1ヶ月先に延ばされた。
5)極め付け:未払賃金請求の時効を勘違い。
(退職=解放後に少しずつ訴訟費用を貯金しながら「証拠はある。いつか見とれ!」と鼻息だけ荒く、何千時間もの時間外勤務簿を“2年が過ぎても”保管。民法の時効との違いに気付いた時は、後の祭り)
◇結末:
客観的には、闘う備えどころか意思さえなく、酷使され踏み台にされた末に、逃げて自ら敗けた事になる。
自認する誤解や思い込みの失敗を含め、書きます。当時、きちんと記録しておらず5W1Hが不明瞭ですが、全て読んで下さった方は、反面教師として活用して頂ければ幸いです。
就職してから20年ほど、労組のない会社ばかりに勤めていました。不当な事は何でも「カントクショという所」が個人名は隠して会社に命令し、解決してくれると、皆が信じ込んでいました。しかし監督署へ行ったのが自分だとバレると、解雇される。
一か八か(変装もすべきか)一大決心で、ハードルは高い。そう思い込まされていました。(「監督署の命令」?ありえない考え方です。そもそも匿名で、何をどうせよと会社に命令するのでしょうか。無知のバカでした。)
無知なため毎朝、始業前からハラスメントされるために出勤する。深夜早朝、休日も問わず、携帯また家の電話に指示や怒号。盆休みや年末年始も大量の「宿題」を与えられ、休み明けには出来映えをなじられます。
過労で、何度も事務所でめまいを感じ、ある時は病院の待合室で昏睡に陥りました。急に歯の激痛が出て、さすがに歯医者へ行くのは認められました。手術して職場に戻ればまた、しかも口の中にガーゼを詰め話しにくいのを「はっきり言え」と怒号。
歯茎を切って親知らずを叩き割り、取り出して縫ったのですが、それで糸が切れました。一晩中、口の中に血が溢れ寝れません。
交際相手を、その親が会社としては気に入らない人物だから娘さんとは別れろ、と呼び出され指示されたり、別の相手と結婚するとなれば「役員を仲人にしろ」、「社長と役員にスピーチさせろ」と。忙し過ぎて式の前まで徹夜残業、ぎりぎり電車に駆込み書類とスーツケースを式場に持参、終わればなんと、そのまま海外出張に向かいました。
何もかもがそれで当たり前。全ては上司の「俺が責められる、恥をかく」から「お前がやれ、迅速かつ完璧に」です。闘えるか、いや闘おうなんて意識や気力すらありません。
妻からは、いつも仕事の事を寝言で英語で叫んでいる、と批判され、ある日には過労死した私の葬儀(のような光景)で幼い息子が私の遺影の前で、親の顔さえ忘れ、無邪気に遊んでいる悪夢さえも見ました。
ただ良い意味でも悪い意味でも、見ている人は見ています。全社ではなく、私の部署だけです。見かねた人たちが調査し、24時過ぎても頻繁に私が一人だけ残業している。
翌朝は徹夜か短時間の仮眠だけで出勤しているのではないか(事実)、休日も殆ど朝から出社(上司はゴルフ)している、他の社員は私ほどではないがサービス残業が多くないか、と問題視されました。
そして結果は、、、当然の如く(?!)「持ち帰り残業」激増です。深夜残業や休日出勤の頻発は、過労で業務効率が落ちていた事もあったと思います。しかし、お構いなしです。
年功序列の昇進はしましたが、部下がサービス残業せず正確な時間を申告“してしまうと”、私が管理責任を問われた、という事もありました。
過労死レベルなんて軽く何倍もオーバーした無償労働も献上し続け、生命維持だけしていたような8年間でした。メールなし、書類はデータではなく手書きも多い時代ゆえ、「持ち帰り残業」の証拠保存の手段が(その意思があった場合には)難しかったかもしれません。
ある時、取引先から一人引抜きました。しかし初日いきなり「騙された、辞める」と、言いました。雇用契約はきちんと交渉確認したはずが、引伸ばされやっと入社の直前に渡され、福利厚生条件や翌年以降の理論賃金が全く低かったようです。
上司が人事に確認せず、ほぼ勝手に話していたと判明しました。当人は当時、前職の海外駐在中で引越しやご家族帰国後の新生活準備も大変で、書面を急かしていません。「隠し録り」も、思い付く事さえなかったであろう時代です。
当人の転職がすぐ決まり、報告と口止めのため、内密に飲み会をしました。そこで皆、実は辞めたいと。ただ、退職日まで苛められるとか転職先へ報復されるとか思い込み、何もしていません。
しかし退職“願”(退職届ではなく)を出せば、2週間後に異議なく辞められる=苦しみから解放されると聞いた(“と思った”)からには、もう止まりません。仲間内で申し合わせ、金曜日の夕刻に部長と面談→退職“願”を叩き付ける→遺留される→考え直します(口先だけ)→月曜日の朝一、神妙な表情(のふりで)やはり辞めます。これを毎週、繰返しました。
最後に私。部長は追い詰められていたためか、なぜか何らか建設的な提案を期待したようで、変に明るい表情でした。そして「お決まりの」をやると、「いやもう、勘弁してくれー」と泣き崩れ、「俺か、俺が悪いんか」「もう一人辞めさせたら、辞表を書くと役員に約束した」「思い止まってくれれば、君の一生を保証する」、、、必死です。しかしちゃっかり「○○さんに相談したか、◇◇さんには何か聞かれたか」と都合の悪い者との接触は、探って来ました。
転職先は退職後にほどなく決まりましたが、その時点では未定でした。そもそも転職活動の時間さえ、ありません。有給休暇も、殆ど未消化で失効しています。とにかく、たった一秒だけでも解放されたい。でも最後ぐらいは見返したい。皆それだけの思いで、いったん自ら雇用を失うという大バカな事をしたものです。
24時間365日、常に緊張と追いつめられていた8年間で最後までやり抜く意思、ぐうの音も言わせない(いや、とりあえず怒られない)実績を残すため、目標を決めれば手を変え品を変えでも達成する執念、方針方法の間違いはすぐ認め修正する謙虚かつ柔軟な姿勢という、以後20年間余の仕事への礎は身に付いたつもりです。
しかし闘いもせず、精神的ダメージを与えたと変な自己満足はあっても、自主退職では実態は敗けなのです。
いま私は、新世紀ユニオンに加入したお陰で、別の会社と闘い始めまた闘い続ける事が出来ています。攻撃が表面化して、8年を超えました。しかし闘い抜きます。
◇後日談:
後任が二人、採用されました。早期に辞めました。部長は後に、執行役員になり定年円満退職です。
1)後から入社し先に辞めた者が、私を唆した。
2)私と一緒に部下を唆し、退職に誘導した。
3)さらに私が後任と密会し、唆し辞めさせた。
4)私は以前から、会社に強く不満を抱き社外でも批判を続け、懸命に諭すも無視して一方的に辞めた。・・・だそうです。××に口なし、(呆れ過ぎて)これも完敗です。
しかし、他の大切な教訓を得ました。どんなに辛くても、下の立場の人には決して、組織や自分の上の人を悪く言ってはいけない。完全実行は容易ではなく、気付いて思い出して反省する事が、今でも多いですが。
実は4)不満と批判は、部長の行為でした。何よりも辛かった、そして真のパワハラ8年間とは、日々それを延々、黙って聞かされる連続だったのです。