コロナは否応なしにさまざまなものを変えつつある。というより、世界を、人々の価値観を、根っこから揺さぶり、変えつつあるといった感じだ。「変化」には、何かの「終わり」とそれに代わる新しい何かの「始まり」が伴う。
コロナ禍そのものの「終わり」はまだまだ見えてこない状況だが、そのなかで、これまで予想もしなかった「当たり前」が「終わり」を迎え始めているように思う。
満員電車での通勤。ほんの少し前まで、都会で働くチャンスを得たならそれを我慢するのは当たり前だと、誰もが何となく思っていた。が、今は、積極的にリモートワーク化を進めた大手が都心のオフィスを畳んでいっている。またそれにより、都心の地価も下落しているらしい。
旅行・レジャー。休みには、家族や友人たちとどこか遠くへ出かけるのがリア充だし、頻繁に外国へ行く人がかっこいいという価値観が、やはり漠然とあった。今は、海外はもちろんのこと、国内旅行も現実にはかなり制限されている。
そして一説には、こうした状況は2021年度いっぱい続くのではないかという。コロナ終息までの道のりがそれほど長くなれば、オリンピック開催がどうなるかといった現実問題よりも、休みは何となく「どこかへ」、できれば「海外へ」といった価値観の見直しが静かに進行する結果、コロナ終息とともに旅行業界が元の活況を取り戻すとはあまり思えない。
そして私が身を置く大学界では・・・リモート授業への切り替えに学生の経済・精神的困窮にと、われわれ教員が対処を迫られる課題は日ごとに増え、事態は逼迫していっている。
私は春からリモート授業の準備で週1~2回のペースで徹夜を続け、やっとのことで盆前に授業が終わった後も、毎回提出させてきた何百名分もの課題の採点で、まだ1日も夏休みをとれていない。
そのうえ学生たちの体調管理まで丸投げされて、コロナの疑いが濃厚だったのに保健所にも病院にも無視された独り暮らしの学生の元へ何週間も飲食料を買って届けたり、高熱・頭痛がなかなか治まらないやはり独り暮らしの学生の診察と転院に1日中、付き添ったりもした。
その結果、私自身も胃炎、発熱、蕁麻疹(じんましん)、と常に体調不良を抱えている。仕事があるだけまだいいじゃないかと言われるかもしれないが、少し時間差があるだけである。
秋から本格的に来年度の学生募集(入試)に入るが、都市部の多くの大学は確実に苦戦することになるだろう。そしてやはり、コロナ禍の終息までに、大学進学や「学び」そのものに対するこれまでの価値観はかなり変貌するのではないかと私自身は推測している。すでに地元志向や、国際・観光系学部・学科の回避もしくはレベル低下志向は確実視されているが。
コロナによる混乱が始まってまだ半年しか経っていないのに、それ以前の生活を振り返ると、もはや懐かしく感じられる。「終わり」が始まっている証だろう。
しかしそれは同時に新しい時代の「始まり」を意味する。ポストコロナ(コロナ後)の働き方、生き方、「学ぶ」とは何か。それらは私たち自身が創ってもいける。一方でそういう「希望」を絶やさず、この苦境を生き抜き、乗り越えたいものだ。