私は大学に勤務していますが、ある事件で懲戒処分を受け停職になり、追加的制裁を受けていたため、やむを得ず提訴しました。
結果は、大学関係の裁判では珍しく和解で決着がつきました。大学関係の裁判では、明らかな労働法違反でない限り、ほとんどが被告側である大学の勝利で終わっています。
私の弁護士は、まだ提出していなかった意見書と証拠があったので、和解提案を蹴っても大丈夫だろうという見解を示していましたが、すでに大学法人の理事会の議事録に和解の意向が記されてネット上に公開されており、実際に大学側が和解の意向を法廷で示したので、やむなく和解に応じました。
民事裁判では、和解を蹴ったほうが負けるという原則があるのです。裁判官はたくさんの事件を抱えているため、できれば数十ページにもなる判決文を書かずに済ませたいという気持ちがあるため、数ページで済む和解調書を好みます。
なので、
(和解を蹴る)+(めんどくさい仕事をさせられた)=(不愉快だから和解に応じた方を勝たせよう)
という式が成立するのです。
先にも述べましたが、大学対教員の裁判では、きちんとした手続きを経て処分が行われていれば、大学側の勝利は揺らぎません。では、私の処分はきちんとした手続きが行われたのでしょうか?一見すると、法に則って手続きを行っており、適正な処分を行ったように思えるような調査報告書を作成していました。
しかし、その調査報告書には、捏造&改竄と言える内容が書かれていたのです。大学の研究者が、捏造や改竄を含んだ論文を発表すれば懲戒処分になるのに、懲戒処分のための報告書には不正がてんこ盛りだったのです。
そこを正すために提訴したのですが、学内に裁判の内容が周知されるはずもなく、処分されたという事実だけが残っているのです。やむを得ず、裁判の経過をブログに記し、調査報告書のどこがどう間違っているのかを丁寧に記し、反論の矛盾も示していったのです。それを大学側は嫌がって和解の意向を先に示したのです。
他大学の人ですが、大学と裁判を行った人に言わせると、「裁判は、人格を全否定してくる」とのことでした。そもそも処分を受けた時点で人格を否定されており、著しく名誉を毀損されているのに、それに抗うと全否定されてしまうとの意味です。それに抵抗するならば、やはりネット上に経過を公開せざるを得なかったのです。
結果は、和解になりまだ勤務しています。元々他の教員や学生からの信頼はあったので、ほぼ問題なく勤務できています。ただし、管理職や人事権を持っている教授からは、弁護士とつながっている厄介者だということで、疎ましがられています。それでも、大学は教育機関なので、学生からの信用があれば働いていけます。
ネット上に裁判の経過を書いて、それを学生が読んだかどうかは知りません。だけど、気になるなら読ませてあげます。
ブログのデータは全て残っていますから。人格を全否定されるようなことはしていませんし、むしろ論文不正と同等の報告書を読んでもらえれば、明晰な学生ならすぐに何が正しいかわかるでしょう。
ただし、ネットに公開するのはリスクもあります。幸いなことに、私には2人もブレインがついていて、私の書いた原稿や準備書面の公開の際には、細かくチェックを入れてくれていましたし、ブログの管理もやってもらっていました。
どういったリスクがあるのかは、また別の機会に書かせていただきますが、相手側に隙を見せないように、色々なケースに対応しなければなりません。なので、誰も彼もが行うべき作戦ではないことだけはお伝えしておきます。