最近ネットなどのメディアの放送をみていると、いじめだよなと感じることが多い。人間は、まちがいもする。だから他人に対してもまちがいやあやまり、誤解があるだろうくらいの余裕がほしい。
とはいえ、明らかな暴力事件であるにもかかわらず、被害者側を非難する意見があることに驚く。相撲の世界のニュースをみなさんはどのようにとらえられているのだろうか。
学校というような集団生活をする場では、つねにいじめが存在した。いじめが解決できないのは、いじめられている側にも問題がある、といった間違った認識があるときだ。完璧な人間などいない。
ならば、いじめられた側はもう制裁を受けたのだ。だから、解決するにはいじめた側にきちんと間違いを指摘し、指導することを行うしかない。
いじめを認識した人たちがこの判断を誤るといじめは深刻化するだろう。いじめは子どもがするものだと思っていたが、最近はどこにでも蔓延するようになった。大人になったらなくなるというのは幻想だった。
私もひどいいじめにあって退職するところまで追い込まれた。未だにいじめた人たちのことは忘れない。でも、ある時から、いじめたその人たちがかわいそうに思えてきたのだ。大人になれていないのだから。
現在、私と私の連れ合いは、連れ合いが受けた暴行事件をめぐって闘う決意をした。もうこれ以上被害者を出さないために、がまんしていてはいけないと考えるようになったのだ。
加害者側は、連れ合いを死に目にあわせるくらいの暴行を働いたにもかかわらず、今では、私たちが「暴行を受けたと嘘をついている」と言いふらしている。
このことが大きくなったら、加害者は職をなくすだろうと、情けをかけていてあげたことが、加害者をまちがった方向へと育ててしまうことを学んだ。
あわせて、被害者と呼ばれる人たちがどれだけ二次、三次にわたり傷つけられ、孤立していくか、身をもってしった。職場の人間はこの事件を知っているにもかかわらず、一握りの人しか問題を感じてくれていない。
ユニオンにくる多くの人はなんらかのいじめを受けた人だ。私もかつて経営者のトップからいじめを受けてユニオンを訪れた一人である。ユニオンの支えがなかったらとても闘うことができなかった。
そして、ユニオンで仲間と出会い、お互いの話をしていく過程で私は、自分だけが苦しくつらいめにあったわけではないのだと知った。それは大きな救いであり癒しであった。
今、闘いのさなかにある仲間、これから闘いになるかもしれないあなたへ、ユニオンには仲間がいることを忘れないでほしい。ユニオンニュースで裁判を闘っている人すべてにともに頑張りましょうといわせてほしい。
そして、もし可能なら、できれば闘うことを決意した私たちを応援してほしい。相手は巨大な組織であるが、私たちは挑む、これ以上暴力を見過ごすことはできないからだ。