どこから生まれてきたのか
どこへ向かっているのか
どのように生きるのがいいのか
何のために生きているのか
人間には基本的な四つの疑問があると思う。これらへの答えを求めて歩いているのが人間なのかもしれない。私はせめて正しく生きたいと願っているものの一人だ。
生きていると、不条理な目に合うことが多々ある。
今から約十年前のある日、上司が突然やってきた。手には一枚の紙きれをもって。その紙には、「〇〇は、非常にいじわるで、仕事もできないのに態度が横柄だ。そのためみんな迷惑をしている。〇〇ほど周囲にネガティブな雰囲気をまき散らしているものはいない。・・・」などという悪口が書かれていた。そう、この〇〇の部分には、ほかならぬ私の名前が入る。
突然のことに最初、驚き、やがて笑えてきた。なぜなら、そこに書かれていることのどれ一つをとっても私には当てはまらないものばかりだったからである。
しかし、しかし、である。この上司は、「このメールは、先日社長あてに匿名で送られてきたものだ。ついては、あなたに配置転換を命じる。」と言い放った。これが、その後、人生で初めて闘うこととなった不当解雇裁判闘争の始まりであった。
私は、上の出来事から一月ほどして、組織のトップに面談を申込み、なぜ配置転換をされなければならないのか、なぜ私でなければならないのかを直接尋ねに行った。このことで、私は懲戒解雇を言い渡されることになった。「理由を聞かせてほしい」と言っただけなのに、これが上司への暴言に当たると裁判では主張された。
これを読まれるあなたは、もし、このような目にあったときにどのようにされるだろうか。私は、信頼できる組合を探した。私を助けてくれて、裏切らない、私のために力を貸してくれる組合を。
私の裁判は、私の主張がすべて認められるという勝利的和解で幕を閉じた。新世紀ユニオンとの付き合いは、それから十年来になる。私は、自分の裁判闘争が終わった後も、組合を辞めることを一度も考えたことがない。
なぜなら、後から後から私と同じような不当な目に合わされて心も身体も傷ついた人たちが新世紀ユニオンのドアを叩くからだ。
今でも時々、解雇通知を受け取ってからしばらく、部屋から一歩も外に出られなくなった自分を思い出す。
ユニオンの委員長は、私の悲しみ、つらさ、やりきれなさ、悔しさ、・・・それらを受け止めてくれた。裁判をやって良かったと思っている。自分の正義を貫いたからだ。そして、裁判を闘いぬけるように適格な支持や助言をおしみなく与えてくれた。それは変わらない、誰に対しても、今でも。